富士川游顕彰事特別講演会

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おはようございます。海徳ひろしです。
富士川游顕彰事特別講演会に参加しました。

故富士川游氏は、日本の医学者、医学史家で、1865年6月4日
に現広島市安佐南区長楽寺の生まれました。1904年に『日本
医学史』を刊行、同書の完成によって日本の医史学は初めて
確立され、1914年文学博士の称号を得て多くの帝国大学で
医学史を講じられました。1940年胆石病で逝去(享年75)
されました。

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主催の一般社団法人安佐医師会の吉川正哉会長の
開会挨拶です。

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講演演目は、「清盛の死を読み解く」で、講師は
東北大学院文学部研究科日本思想研究室の赤谷正樹氏です。
同研究室では、『平家物語』の思想史的研究をされています。

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平忠盛の嫡子として生まれた平清盛は西国を拠点とする伊勢平氏の棟梁であり、
忠盛・清盛親子は清盛が安芸守に任じられた時に、西国における勢力圏を拡大
して『瀬戸内海の制海権』を手中にしました。西国に版図を拡大した頃から
清盛は宮島の厳島神社を信仰するようになり、現在の社殿の原型が清盛によって
造営されて『平氏の守り神』として崇敬を集めました。
1181年、平清盛は反平家勢力を完全に討滅するために、平宗盛を棟梁とする平氏
一門を挙げて関東に進軍し源頼朝を討とうとしますが、その直前に熱病に罹って
敢え無く死去しました。

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とても有意義な講義を拝聴させていただきありがとうございました。
広島大学医学部構内と広島市安佐南区長楽寺三丁目に顕彰碑があると
いうことなので、一度訪ねてみたいと思います。

2017/01/12

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