令和最初の原爆の日
今日は、被爆74年、令和最初の「原爆の日」でした。
朝7時の原爆ドームです。
「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴
が捧げられ、その数は年間約1千万羽です。
中区、平和記念公園で広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
が営まれました。
平和記念公園の原爆慰霊碑です。
私は、川内温井義勇隊慰霊式(中区中島町)に参列しました。
浄行寺と誓願寺のご住職による読経です。
「川内村国民義勇隊」
8月6日、約500人の川内村国民義勇隊が中島地区に出動しまし
た。先発隊は、現場で作業に着手したときに被爆し、約200人
が死亡しました。このうち、自宅まで帰りついて息をひきとっ
た人はわずか7人でした。
後続隊は、現場に向かう途中で被爆、無傷で帰って来た人もい
ましたが、後に原爆症に苦しむ人が少なくありませんでした。
また、市内中心部に家族を捜しに行った人たちも残留放射線に
侵されました。中島町の建立された「義勇隊の碑」には、180
名の死没者の名前が刻まれています。
(出典/広島平和記念資料館資料)
参列者がお焼香をあげました。
私もお焼香をあげさせていただきました。
松井一實市長は平和宣言で、日本政府には、核兵器禁止条約へ
の署名・批准を求める「被爆者の思い」をしっかりと受けとめ、
核兵器のない世界の実現にさらに一歩踏み込んでリーダーシップ
を発揮してほしいと述べられました。
被爆者の平均年齢が80歳を超えている現状を踏まえると、未来
に向けて被爆者の思いや言葉を伝え、広めるには若い世代の力
が必要です。
これからも「核兵器のなき世界」「平和な世界」を目指して活動
をすすめていきます。
2019/08/06